京都・妙心寺の塔頭の一つ東林院で、毎年行われる「梵燈のあかりに親しむ会」
の試験点灯が行われました。

枯れ山水の庭を420本のろうそくの炎で浮かびあがらせました。
今年の選択禅語は「秋風一味涼」。

秋の鳴く虫の声を聴きながら、ろうそくで浮かび上がったコケの緑と白砂を
眺めているとせわしない世間を一時でも忘れられるかもしれんせんね。

特別拝観日は7~16日の午後6~9時。
拝観料は500円

境内の東端に位置する束林院は沙羅双樹の寺として知られる。梅雨のころ、
方丈の苔むした庭に夏椿とも呼ばれる自い沙羅双樹の花が散る。
『平家物語』の冒頭の「盛者必衰の理」を表すように。

当寺は享禄4年(1531)細川氏綱が父高国の菩提を弔うために建立した寺で、
樹齢350年余、高さ15m根回り1.5mの古木など4本の沙羅の木が自い花を咲かせ、
花は雨に打たれて苔の上に散り敷いてゆく。

玄関前には山田無文老大師の歌碑がある。沙羅双樹の庭に続いて千両の庭、
そして万両の庭、蓬莱の庭と永遠・常住不変の世界が現れるよう演出してある。

妙心寺散策

古刹らしい堂塔匍藍とおびただしい塔頭群

花園のほぼ中央の広大な寺域に多くの堂塔伽藍が立ち並ぶ妙心寺は、
妙心寺道に南面して勅使門と南門の2門を構えます。

勅使門から北へ放生池・山門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈・小方丈
・大庫裏と主要伽藍が一直線に配置され、これらの堂列の東方に浴室
・鐘楼・経蔵が立ちます。

こうした伽藍の構成は大徳寺伽藍と並んで、近世における禅寺伽藍の
典型であります。建物はすべて国の重要文化財。

花園上皇がこの地にあった離宮を関山慧玄に下賜し禅寺に改めたもので
慧玄が入寺すると上皇起居の場として玉鳳院が創建され参禅の拠り所
となりました。

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妙心寺アクセス

JR花園駅下車、南総門まで徒歩8分。京福北野線妙心寺駅下車、北総門
まで徒歩2分。

市バス・JRバス
妙心寺北門前下車、北総門まですぐ。
京都バス・市バス妙心寺前下車、南総門まで徒歩4分。

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応仁の乱の兵火にかかり、玉鳳院を残して焼失、細川勝元、政元の支援
により復興、傑僧も輩出して妙心寺4派を基軸に寺観の整備・教団の
組織化が進みました。

教義の面でも細川氏、駿河今川氏、織田信長、武田信玄、勝頼などの
戦国大名の帰依を受け、隆盛を誇りました。

近世においては紫衣事件が起こるが、塔頭の一つ、麟祥院を開基した
春日局が融和に努めたといわれています。

そうした事件はあったものの、慶長から寛永期には、本坊のまわりに
林立する40数院の塔頭のうち半数以上が創建され、盛時には80余院が並び
立つ勢いを示しました。

なかでも

伽藍の東西に接して立つ塔頭は創立年時が古く、特に玉凰院は非公開だが
境内に開山の塔所微笑庵があるため別格扱いとなっています。

伽藍の勅使門は慶長15(1610)の造立。慶長4年(1599)造立の山門は
伽藍諸堂のうち最古の建築物で、彩色されているところに特徴があります。

楼上には観音菩薩や十六羅漢などが安置されており、天井や柱には龍や天人
が描かれていかす。法堂の鏡天に描かれた豪快な八方にらみの龍は狩野探幽
の傑作。必見です。

また法堂の西北にある鐘楼には、白鳳時代のもので形休と音色に優れた
黄鐘調の鐘として知られる国宝の梵鐘がかかります。

筑前で鋳造され、わが国最古の銘をもつ。ほかにも入母屋造枡席葺きの大方丈、
南縁の杉戸に麒麟が描かれているところから麟徳殿とも呼ばれる小方丈、
梁組を露出した庫裏などみどころが多い。

しかし、妙心寺は禅を追求することに厳しく詩歌・茶道などの楽しみが許され
なかったために、大徳寺と並ぶ大禅刹でありながら、茶室や露地庭など美術的
な遺品は大徳寺には及ばない。

山内で一般に公開している寺院は本坊のほか、退蔵院、桂春院、大心院だけである。
山内を巡るには約3時間。宿坊もあり、写経や座禅も体験できます。

妙心寺の塔頭・庭、絵、花などみどころさまざま

妙心寺の数多くの塔頭寺院の中には優れた建築や庭園を持つもの
が少なくありません。

山門のすぐ西側にある退蔵院の方丈には西・南2つの庭があリます。
必見は狩野元信の作庭(室町時代)と伝えられる枯山水の西庭。
小ぢんまりした庭ながら築山に 竜が組まれ、あたかも流水が蓬莱島
を巡り島に架けられた石橋のほうへ流れ込む様子を表現しています。

画家の感覚をなくしては表現し得ない構図で、一幅の絵画を見るようだ。
ほかにはない独自の風格をもつ。

垣根を隔てて昭和の庭園、余香苑もあります。

退蔵院は如拙の描いた国宝の紙本墨画淡彩瓢鮎図を所蔵していること
でも有名です。

玉鳳院の北にある大心院は明応元年(1492)細川政元の開基になり、
信長・秀吉・家康に重用された細川幽斎が中興。現代の作庭家中根金作
の阿吽庭があります。

白砂と苔と玉色の岩を配し、昇龍を表現した枯山水庭園。宿坊もあります。

境内の東北隅に近い桂春院の3つある庭園は寛永9年(1632)の創建当時
のもので、方丈南庭から東庭、書院前庭へと北から南へ傾斜する地勢を
たくみに利用してそれぞれ趣のちがった庭が現れます。

南庭は本堂の広縁の外、ツツジの大刈込みの生垣の向こうは生い繁る
楓の樹林がおおい、杉苔の中に石を7・5・3に配して幽邃の感がある。

ここから飛石に導かれて東庭に出ると、左右の築山は山容の趣を
見せている。北の中門の内は書院前庭となり、奥に秘かに造られた草庵風
の茶室既白庵へ通じる露地として造られています。