平安神宮の創建とともに始まった祭礼、時代風俗の行列

時代祭概要

葵祭・祇園祭に時代祭を加えて「京都の三大祭」と言われています。

時代祭は、1200年余の歴史を誇る古都・京都ではきわめて新しい祭
に属します。

明治28年、京都で「第四回内国勧業博覧会」が開催されるとともに、
「平安遷都1100年紀念祭」が開催されました。

時代祭はこのときに創案されたものです。

明治28年は、正確には遷都1100年にあたるが、京都ではこのとき、
第4回内国勧業博のパビリオンとして、平安宮大極殿の模型を出陳
しました。

設計者は、のち初代東大の建築史の教授となった伊藤忠太でした。
模型とはいっても実物の5分の3であり、その見事な出来ばえに、
これを保存することを決議し、曲折はあったが、その方策として大極殿模型
をそのまま神社とすることにした。

平安神宮の設立です。

神宮が出来れば、必ず祭礼が必要です。そこで生まれたのが「時代祭」
でありました。サポーターとして平安講社が京都市民によって組織され、
祭礼行列が考案されました。

祭礼日を10月22日としたのは、桓武天皇が長岡京より遷幸された日
にちなんでいます。

創立された祭礼は、平安時代から明治維新までと時代が限定され、6行列
が誕生していた。当初の行列順序は平安時代から始まり、維耕勤王隊
(山国隊など)で終わっていました。

急ぎ、衣装がこしらえられたが、さすがは京都、古い衣装も残されており
短期間で準備できました。

維新勤王隊では、かつて実際に従軍した山国隊の老兵たちまでが手弁当で
参加したと言われます。

この時代祭は、時代を経るにしたがって、行列を増やしました。大正期には
8行列、昭和初期には10行列と、順次増加しています。

とくに、目立った点でいえば、それまで古い時代順から始まっていた行列を、
大正期までに明治維社からスタートさせるという発想の大転換を行って、
アッといわせました。

このころには、日本各地で「時代祭」が行われるようになっているから、
時代祭は全国的影響を与えました。




京都御所から平安神宮まで4.5キロを2000人が進む祭礼は、午前中、
神幸祭の神事、平安神宮より神幸列が京都御苑に到着し、行在所祭が執行
されたあと、正午にスタートする。

正午、ピーヒャラドンドンという維新勤王隊の鼓笛隊のマーチに合わせて、
行列行進が始まる。

総勢約2000人が多数の牛馬とともに御所の建礼門前を出発し、堺町御門を
くぐり、烏丸通・御池通・川端通・三条通・神宮道を通り、平安神宮に
至ります。

その距離約4.5キロに及びます。

現在の行列は、十八行列。名誉奉行列・維新勤王隊列・幕末志士列
・徳川城使上洛列・江戸時代婦人列・豊公参朝列・織出公上洛列
・楠公上洛列・中世婦人列・城南流鏑馬列・藤原公卿参朝列
・平安時代婦人列・延暦武官行進列・延暦文官参朝列・神饌講社列
・前列・神幸列・白川女献花列・弓箭組列の各列が続きます。

なお、各行列では、近年新しく行列人が加えられ、衣装も順次新調
されています。

時代祭 ・日程と見どころ

日程・巡行コース

行列パレードは10月22日です!

見どころ

個人個人によって好みの違いはあるでしょうが、私のセレクトを2点あげます。
まずは平安時代婦人列です。

巴御前・横笛・常盤御前・清少納言と紫式部・紀貫之の娘小野小町
・和気広虫といった平安時代に活躍した代表的女性が出そろいます。

それと維新志士列です。

桂小五郎、西郷吉之助、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作、吉村寅太郎、
頼三樹三郎、梅田雲浜、橋本左内、吉田松陰、平野国臣等、現代の礎を
築いた面々です。

まとめ

この時代祭の行列が行われる10月22日は、同時に鞍馬の火祭の日でもあります。
最初からこの2つの祭りを楽しむプランもいいかもね。

昼は時代祭、夜は鞍馬の火祭ナーンテ祭り好きにはたまらないよね!

時代祭のパレードの出発点の京都御所と終点の平安神宮も見どころが
いっぱいなんで、合わせてじっくり見てまわりたいですね。




京都御所・平安神宮の概要と見どころ

京都御所

京都御苑の中央のやや北寄りにある。南北約445m、東西約250m、
周囲には薄茶色の5筋の白線を引いて意匠を凝らした築地塀を
巡らしている。しかし、これは平安の大内裏ではない。

位置も規模もいくたびか変化しており、現在のものは南北朝時代に
光厳天皇が土御門東洞院邸の里内裏を正式に皇佐として以来の
ものである。

東京遷都まで歴代天皇がこの地に住まわれた。

京都御所は中世に信長の修理、秀吉の全殿舎の改築が行われ、さらには
徳川幕府の手により大がかりな増改築も行われた。

その後、火災に見舞われる度に造営が繰り返され、江戸時代には8度も
再建されている。

度重なる造営で不要にならた建物や門は門跡寺院や皇室に縁の深い
寺院に下賜されたため、仁和寺の金堂や御影堂、南禅寺大方丈などに
往事の遺構を見ることができる。 

現在の御所には合わせて6つの門がある。蛤御門から入ると正面の建礼門
(南門)にたどり着く。

この門は普段は閉まっており、天皇および外国元首などの来訪時と、
重要な儀式がある時だけ開扉する。

ほかに北に朔平門、東に建春門、西に宜秋門、清所門、皇后門を置く。

参観の際は西へ回って清所門から入る。  

参観待合所から南に向かい、御車寄を通って最南の建礼門へ。

この正面の承明門を入ると、御所の正殿で美しい寝殿造の紫宸殿が見える。

単層入母屋造、檜皮葺き、南北約23m、東西約33mに及ぶ木造建築で、
総檜の高床式。

朱塗りの回廊を巡らし、左右に日華門、月華門を置く。

ここは歴代天皇の即位式など重要儀式が行われてきた場所で、向かって
右手に「左近の桜」、左手に「右近の橘」が植えられている。

紫宸殿の左手奥には天皇の日常の居所であった清涼殿がある。
紫宸殿の右手は宜陽殿。その北には小御所、蹴鞠の儀が催される
小御所北庭、その奥に御学聞所が連なる。

小御所は中世以来、諸儀式の行われた所で、明治維新の際はここでの会議
で大政奉還が決定されたという。  

殿舎の東側に回り込むと池泉回遊式の御池庭、さらに北には東京遷都まで
天皇の御座所だった御常御殿、皇太子御殿、皇后御殿、若宮・姫宮御殿
などが続く。

御常御殿より北は非公開。

穴場発見

亥生まれの人の守護神

神社には必ず狛犬が配され、稲荷につきものなのがキッネだが、
御所の西、蛤御門の前にある平安京造営に功績のあった和気清麻呂
を祭る護王神社では雌雄(対の)猪の石造が置かれている。

これは鹿児島の大隅へ流された清麻呂が宇佐神宮へ詣でた折、
300頭もの猪が現れ、前後を守って先導したという故事にちなむもので、
その縁にひかれて特に亥年生まれの人の守護神として崇敬を集め、
護王亥子会、亥子部会などが組織されている。

社務所横に展示回廊があり、祭神顕彰関係や猪にちなむコレクション
が常設展示されている。

西洋の香り漂う2つの建物

御所の下立売御門と対して立つレンガ造りの美しいゴシック建築は、
明治30年(1897)に建てられた聖アグネス教会で歳月の重さを
感じさせている。

以前は照暗女学院と称していたが、
聖書の「われ平安を汝らに遺す。わが平安を汝らに与ふ」にちなんで
改称した平安女学院の礼拝堂になっている。

その少し南に、塀に囲まれ、ほの暗さの中に洋館の上半分が見える。

大丸百貨店の11代当主下村正太郎は社運回復をかけてヨーロッパに
渡った時、イギリスで16世紀のチューダー王朝時代に流行した
ハーフ・ティンバー・スタイルのとりこになった。

柱や梁を外部に現し、その間をレンガや漆喰で埋めた構造の様式で、
下村は24年後の昭和7年、念願かなってチューダー様式にちなんで
中道軒と名付けた洋館を完成させた。

現在の大丸ヴィラである。

桂離宮を「永遠なる美」と激賞したブルーノ・ダウトはここに泊まって
京都のあちこちを巡った。

京都御所周辺ガイド

廬山寺 

御苑の東側にある。節分の追儺式「鬼の法楽踊り」で名高い。
『源氏物語』の作者紫式部の屋敷跡と推定され、「源氏の庭」と
名付けられた広山水の平庭がある。天正13年(1585)に北山にあった
寺を現地に移したと言われています。

相国寺

御苑の北、同志社大学の北隣ある。足利義満が明徳3年(1391)に
開いた寺。三門・仏殿は焼失し、法堂・方丈などが再建された。

境内の承天閣美術館には、金閣寺・銀閣寺などに伝わる宝物も
展示してあります。




平安神宮

平安神宮は現代に再現された平安京パレスだ!

1994年、京都では華々しく平安遷都1200年祭が催されたが、その
100年前の明治28年(1895年)、遷都1100年祭を行う際に建立された
神社が、ここ平安神宮です。


設計は工学博士の伊東忠太があたり、当初は大極殿を中心に12の堂が
並ぶ朝堂院(大内裏の正庁)を再建するはずだったが、前年の日清戦争
の勃発で計画は頓挫、本来1894年に行われるべき行事(平安遷都は794年)
が、翌年日清戦争に勝利してからに変更され、建造物の規模も朝堂院の
一部である応天門と大極殿だけを原型の3分の2の大きさに再現する
ように縮小されてしまった。

とはいうものの今ここを訪れると、そのスケールの大きさに驚かされます。

バス停から朱塗りの大鳥居をくぐり、神宮道をまっすぐ北に進むと2層の
楼門形式の応天門がある。

“丹塗り”という朱色の建物に碧瑠璃の瓦を屋根に乗せた華やかな門だ。
碧瑠璃は緑釉とも呼ばれる酸化銅の入った釉薬で、中国の唐三彩と同じ
系統のもののようだ。

平安京の主だった建物はこの瓦で葺かれていたといわれています。

屋根の両側には飾り瓦の鴟尾が大きく突き出している。門をくぐると一面
に白砂を敷きつめた境内が広がり、竜尾壇という一段高い土壇の向こうに
大棚殿(拝殿)、その両側に白虎楼蒼竜楼が立っています。

大極殿の桁行きが約32mもあり、拝殿としては日本一の大きさだ。

これで3分の2ということは実物は50mあったわけで、さぞ壮大だった
ろうと想像でき、ここもやはり屋根は瑠璃瓦で葺かれ、まるで平安絵巻
のワンシーンのようでタイムスリップしたような錯覚に陥るのは私だけでしょうか。

両脇にそびえる白虎楼と蒼竜楼は、ともに屋根の上に小楼を乗せた特異な
スタイル。

しかも小楼はそれぞれが入母屋造、本瓦葺き、鴟尾を乗せた立派なもので、
その重厚な造りが広い空間をぐっと引き締めている。

竜尾壇より内は、昔は貴人しか上れないしきたりだったとか。

壇上に立って境内を見渡すと、平安京の時代の華やかな宮殿風景が眼に
浮かんでくるようだ。

この大極殿の内側には檜皮葺きの本殿があり、平安遷都を行った桓武天皇
と昭和15年に合祀された孝明天皇を祭っている。

大極殿の裏手、白虎楼の回廊から入る神苑は約3万平方メートルの
池泉回遊式庭園。

南、西、中、東と大きく4つに分かれていて、それぞれに池が配され、
4月中~下旬は南神苑の紅枝垂桜、5月中~下旬は中神苑のアヤメ、
6月に入ると西神苑のハナショウブなど、四季折々に花が咲き競う。

神苑は明治時代の庭造りの名人・植治(小川治兵衛)の手になるもので、
当時は園遊会などにも利用されたらしい。

歴史ある社寺の庭園とは趣の違う開放的な造りが特徴だ。

中神苑の蒼龍池にある臥龍橋という飛び石の橋は、かつての三条、五条大橋
の橋脚を利用したもの。

アヤメの時期に渡ると池面に映る花の影が間近かに。

ちなみにこの神苑の水は昔から琵琶湖から疏水で引かれていたため、琵琶湖
の魚や貝類が入り込んできている。

今では本家の琵琶湖で絶滅に近い状態になっているタナゴが、ここから発見
されており、生物学的にも貴重な池となっている。

また、午前中のまだ人の少ない時間帯には、それらの魚を狙ってやって来る
アオサギやカワセミを見かけることもある。




平安神宮周辺ガイド

岡崎公園 

平安神宮の南一帯の岡崎公園には、動物園その他、各種の施設
があります。

市立美術館は館蔵品の常設展のほかに公募展・特別展にも使用
されています。 

大鳥居をはさんで、その向かい側にある国立近代美術館も常設展
の他に特別展が催されています。
常設展示階のロビーから見る東山一帯の眺めは美しい絵をみるようで
その北に府立図書館が、その西に勧業館と伝統産業・会館が並びます。

伝統産業会館では製品の展示即売・製作過程の実演もされています。
地下一階には京都の古い町家が復元展示されています。

黒谷(金戒光明寺) 

岡崎公園北の丘上にある。法然上人が比叡山を下りて吉水の禅房
(知恩院)に移る前に営んだ草庵の跡を寺としたもので、多くの堂塔・
塔頭寺院があります。

文殊(三重)塔・阿弥陀堂は江戸時代初期のものです。

真如堂(真正極楽寺) 

黒谷に続く丘にあり永観2年(984)に戒算上人によって開かれました。
本尊阿弥陀如来立像は正暦三年(992)延暦寺常行堂から移したと
『真如堂縁起』は伝えています。

来迎の阿弥 陀立像では最古のものだといわれています。
紅葉の名所としても評判です。